日本でも「建築教育」を拡げよう

マイスターです。

日本の初等中等教育は、「学力向上」という点で言えば、世界的にも高い水準にあると思います。

しかし、「あぁ、どうして日本では、これを教えないんだろう」と、以前からずっと疑問に思っていることも、いくつかあります。

(おそらく皆さんも、一つはそういったもの、あるんじゃないでしょうか)

マイスターの場合、長く不満に思っていたのは、「メディアリテラシー」と「演劇」、そして「建築」でした。

このうち、「メディアリテラシー」については、昔に比べるとかなり、認識が変わってきました。
インターネットという、危なっかしいメディアが普及したおかげで、「これは、早いうちからメディアとのつきあい方を覚えさせないといけない」と、皆が考え始めたのだと思います。

もっとも、インターネットより遙かに、子供に与える影響力が大きいはずの「テレビ」がメディアリテラシー教育で見過ごされがちなようです。
不思議です、一体どうしてなんでしょう。テレビとうまく付き合う方法を教える方が、インターネットよりも先だと個人的には思うのですが……。

大人は、新しく登場した見慣れないメディアは疑うのですが、自分達が小さな頃から慣れ親しんでいるメディアは「安全だ」と思い込んでいて、なぜか疑いません。
そしてマスメディアは、自分達が提供している情報だけは「安心だ」と演出しています。

……と、今日の本題は、これではないんです。
メディアリテラシーについては以前の記事でたっぷり書かせていただきましたので、ご興味のある方はよろしければ↓以下のリンクをご覧くださいませ。

(過去の関連記事)
・情報教育を考える(1):「情報」って何?(2006年02月17日)
https://unipro-note.net/wpc/archives/50153040.html
・情報教育を考える(2):「情報を疑う力」が、全国民に必要だ(2006年02月18日)
https://unipro-note.net/wpc/archives/50152837.html
・情報教育を考える(3):『メディア・リテラシー - マスメディアを読み解く』(2006年02月20日)
https://unipro-note.net/wpc/archives/50153569.html
・情報教育を考える(4):誰がどこで、情報との接し方を子供に教えればいいのか?(2006年02月21日)
https://unipro-note.net/wpc/archives/50155343.html
・情報教育を考える(5):情報教育を担えるのは、学校の教員だけではない?(2006年02月22日)
https://unipro-note.net/wpc/archives/50155746.html

今日、ご紹介したかったのは、「建築教育」の方の話です。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「『建築教育』取り組み相次ぐ」(読売オンライン)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070828ur01.htm
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住宅に関する知識を子供のころから学ぶ機会をつくろうと、建築士や教師らが「建築教育」に取り組んでいる。こうした知識は学校であまり教えられることはなく、取り組みの大半はボランティアによるものだが、今後は食育とともに子供の生活力を育てる場として注目されそうだ。

日本建築学会近畿支部などが夏休み中の3日間、大阪市立住まい情報センターで開いた親子向けの建築教室「家をつくろう!2007」。京阪神の親子20組55人が参加し、「まあるい家」「みどりと恐竜と土の家」など思い思いのアイデアを基に段ボールの家を建てた。

どんな家に住みたいかを考えるだけでなく、日ごろ見落としがちな強度や耐震性の基礎知識を身につけてもらうのが目的だ。

参加者は五つの班に分かれ、自分たちで描いた設計図を基に模型を製作。それらの模型を参考に、カッターナイフや粘着テープを使って、高さ2~4メートルの家を完成させた。指導には建築士や高校の家庭科教師、建築を学ぶ大学院生ら30人があたった。

主催団体の一つ、大阪府建築士会の中村伸二・青年委員会委員長は「実際に紙を丸めたり立方体にしたりするうち、どんな構造が強いかを体感できる」と話す。建築の基礎知識を持つことは、将来、マイホームの建設や購入、防災工事などに生きる、という。

ボランティアで指導に加わった大阪府立茨木高の入交(いりまじり)享子教諭は「学校で住について学ぶ機会はほとんどない。それだけに子供のころから暮らしの『器』であることを意識し、体で知る機会が必要」と話す。

母と妹2人の計4人で参加した中学1年の増田温(のどか)さん(12)は「柱と壁をしっかり作ればいい家になる。やってみてよくわかった」と話した。

このほか、夏休み中、各地で建築教育の催しが開かれた。

(上記記事より)

「建築」や「都市」というのは言うまでもなく、我々の生活に非常に大きな影響を与えるものです。
そこにいる人の感性や価値観、生き方といったものと連動する、重要な要素です。

にも関わらず、建築学科を出たとか、「BRUTUS」や「Pen」を毎号買っているようなデザイン好きの人を除くと、「建築」や「都市」に対して相応の関心を持っている人はあまりいないように思います。
日本は、優れた建築を数多く有し、世界的な建築家も多数輩出している「建築大国」ですが、一般生活者の建築や都市に対する関心は低いのですね。「建築教育大国」ではないのです。

でも自分の小中学校時代を思い返してみると、そう言えば学校の「美術」の時間では、有名な絵画や彫刻の名前は教わったけど、有名な建築のことは教わりませんでした。
建築は、歴史の授業で、「過去のモニュメント」として教わっただけです。

同様に、教育の一環で美術館や博物館に連れて行ってもらうことはあっても、優れた建築を体験しに行ったことは、マイスターはありませんでした。
「観光」として歴史的な建造物を訪れることはあっても、そこでは建築そのものの解説はほとんどされません。せいぜい「ウグイス張り」を体験する程度でした。

中学の「家庭科」で、家の間取りの話がちょっと出てきたのは覚えています。
ただ結局、自分の頭で考えさせるようなこともなく、ほとんどスルーされて終わった気がします。

みなさんは、いかがでしたでしょうか?

そんな自分の子供時代を考えると、上記の記事にあるように建築について考える機会がたくさん用意されているというのは、隔世の感があります。
建築に対して関心を持つ大人も、増えているように思います。いいことです。

ちなみに、欧米ではどのような建築教育を行っているのでしょうか。

例えば、まず「建築博物館」という機関があったりします。
文字通り、建築のミュージアムです。
いわゆる歴史的建築物を写真や映像、模型などで紹介する他、実際に空間作りを体験したり、建築や都市について考えさせたりといった、教育プログラムも充実しています。そういう担当者がちゃんと常駐しているわけです。
何より多くの場合、ミュージアム自体が非常に美しく、豊かな空間を持っていたりするわけです。子供達は自らの体で、「感動する空間」を味わうわけです。

そういった機関とも連携しあいながら、家について、生活について、都市について、空間について、歴史について、子供達は学ぶのです。
欧米、特にヨーロッパの人々は、歴史的な建築物を保存したり、美しく、現代の生活と調和する形で再生させたりといったことに対する意識が高いとしばしば聞きます。
そりゃあ、そうです。そういう教育を受けているのですから。

もう一つ、違う例を。

マイスターは大学院生のとき、アメリカの学校をいくつか調査して回ったのですが、そのときの一校は、↓高校生達に実際に「家造り」をやらせる教育プログラムを行っていました。

■Minnesota Youthbuild Program
http://www.deed.state.mn.us/youth/ybuild.htm

ホームレスの為の住居をつくることを通じて、様々なスキルや、社会に対する意識、協調性、クリエイティビティなどを身につけるというプログラムです。
自治体が予算面などでサポートする優れた教育プログラム……であると同時に、子供達にとっては、自治体から正式な依頼を受けて行う「仕事」でもあったりします。

建築というのは本来、我々の社会そのものを映し出す存在です。
ですから、「食育」がそうであるように、建築教育も多面的なアプローチで行われて然るべきです。
実際の住人のために「家」を生産し、供給する。その活動の中で建築の様々な面を知り、そこから多様なことを学んでいく。なかなか優れたプロジェクト学習のあり方ではないでしょうか。

マイスターが取材した学校には、建築家資格を持っている教員がいて、その方がこのプログラムを推進していました。
自分も建築を学んでいるんだとマイスターが言ったところ、
「建築造りは、子供達にとって、非常に優れた教育素材だと思う」
と、うれしそうに語ってくれたのが、印象に残っています。

ともあれ、日本でも建築を通じて様々なことを学ばせようという機運が高まってきたのだとしたら、大歓迎です。

世界一、建築や都市のことを真剣に考える国になったらいいなぁ、と思います。

以上、マイスターでした。

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※マイスターの場合、高校のときに、なぜか一級建築士の教員がいました。学校の校舎はその先生の設計で作られており、そのせいか、「総合」という授業で建築の設計をやる時間がありました。
また高校3年生のときには、大手ゼネコンの設計部に所属する若い建築家の方が毎週学校を訪れ、少人数の建築ゼミをやってくれていました。
建築を、多面的に語れる人が、幸いにも身近にいたわけです。

そういう機会がなかったら、建築学科に進学していなかったかも知れません。