【履修逃れ校問題】 「履修」ってどういう状態?

マイスターです。

高校の「履修逃れ」問題の状況を伝える報道が止まりません。該当校を数え上げるための調査はそろそろ終盤に入ったようですが、その後の「対策」に関する議論はまだこれからといった様子です。

本ブログでは、とても報道のすべてを取り上げることはできませんので、ニュースを追っていて、ふと気になったものを中心にご紹介したいと思います。
今日は、【「履修」って、どういう意味?】という疑問について。

【教育関連ニュース】—————————————–

■「『必修』の家庭科、リポートのみ 東京の私立巣鴨高校」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/special/061027/TKY200610300227.html
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 東京都豊島区の進学校、私立巣鴨高校で、必修科目である家庭科の授業時間を、国語、数学、英語などに回していたことが分かった。代わりに夏休みに家庭科の教科書に沿ったリポートなどを提出させて単位として認めていた。とくに保護者から抗議はなく、学校側は「逆に、補習をやれということになったら生徒らが怒ると思う」と説明している。(略)
堀内不二夫副校長は「限られた時間のなかで大学受験のために力をつける必要があった。(報道されているケースとは違い)全くなにもやっていないというわけではない」と話す。
(上記記事より)

授業は確かにやっていなかったけれど、レポートを課していたんだから、教育はしていたんだ。何もやっていなかった訳じゃない!

……という主張をする高校の話です。
「補習をやれということになったら生徒らが怒ると思う」等、かなり率直でストレートなコメントが紹介されていますが、生徒が怒るからやらない、という問題ではないような気が、個人的にはします。

さて、今回の「履修逃れ」問題をどのように解決するか、政府や文科省の間で対策が協議されています。当初は厳しい対応をすると表明していた文部科学大臣でしたが、事態がこれだけ大きくなったためか態度を一転、何らかの処置をとる方針になったようですよね。

その中で今、「一体、『履修』ってどういう意味なの?」ということが、改めて問い直されているように思います。

現在のところ、一定量の補習に加え、「レポート」を課すことで単位を修得させるという案が浮上しているようです。しかし「レポートを出すことで、この問題は解決されるものなの?」という指摘をする声が聞かれます。「履修というのは何らかの授業を受けることである。レポートというのは本来、評価のための手段に過ぎない。したがってレポートの出題を、あたかも授業を実施したのと同じように扱うのはおかしい」といったご指摘ですね。

森喜朗元首相は

もう一度授業を受けさせるようなことは必要ない。世界史の本でも読み、論文を出してもらうなど、寛大な措置を取るべきだ(「高校未履修問題 政府が救済策検討 深刻化で方針転換」(神戸新聞)記事より)

などの発言をされたそうです。ここまで適と……もとい大胆な教育観を披露している閣僚はこの方だけみたいですが、しかし部分的にレポートなどを授業の代わりとするという意見はあちこちで散見されます。

しかしそれで果たして、未履修の問題を解決したことになるのでしょうか。

例えば世界史が必修である理由は、世界の歴史を知り、その中で日本を相対化することが高校生にとって非常に重要であるという主旨からなんだと思います。そのために、きちんとした流れを説明され、資料にあたり、重要なポイントは若干の暗記もして、世界史の流れを頭に入れることが大切だよ、ということだったのではないでしょうか。(現在の授業方法がいいかどうかはまた別ですが)

それなのに、「レポートを出せば、単位を履修したことにしてあげるよ」という方法で代用していいのかどうか。これが高校生にとって本当に適切なのかどうか。あまりに被害の規模が拡大してしまったため、なんとか形式的に解決しようとした結果、この点、議論がすっ飛ばされているように思います。

マイスターは今回の履修漏れ・履修逃れの問題が発覚したとき、最初から「授業は全部やる」という前提の対策しか思いつきませんでした。

○受験が終わった生徒から順次補習を受け、必ず規定の時間を終わらせる。
生徒によって受験が終わる期間に違いがあるので、学校は何度も同じ補習をしなければならないが、それは学校の責任。場合によっては他の高校で補習を受けられるようにする等の方法も検討。
○卒業式が終わっても補習が終わらない生徒が大勢出てくると思われるが、それについては本年度に限り特別に認める。

例えば上記のように、「柔軟に、しかし確実に学んでもらう」ための方法を考えるところからスタートしないと、あまり意味がないんじゃないのかなと考えたのです。学ぶべきものは何があろうと学ばなければならないはずですからね。
でも高校生はあくまで被害者ですから、「どうやったら、彼らになるべく影響が出ないように授業を行えるだろうか?」という方法論をみんなで議論するんだろうと思っていたのです。

しかしどうも今、「柔軟に」ではなく、「寛大に」という意見の方が多いようです。これで問題が解決されたことになるのかと、ちょっと心配です。

ついでにもう一点。

受験前に補習をされてもどうせ聞かない、授業中は自分の受験のために自習をする、という受験生の声が報道されていますが、そりゃ当然です

おそらくこれから、全国のいたるところの高校で、夕方や休日を利用した補習が行われることになりますが、その際、「教室のほぼ全員が、自分の受験のための科目を自習している」という風景が出てくるかと思います。
それでも、そうした高校は「うちは(一応)補習を実施しましたから、問題ありません」と説明するのでしょう。
というかむしろ、補習のはじめに「先生は世界史の授業をやりますが、皆さんは自分の受験科目を自習していてかまいません」と明言する教員が少なからず出てくると思います。今回履修逃れをしていた高校の多くは、有名大学への進学実績を重視する、進学校のようですし。

そりゃあ、予定通りに授業したとしても、普段から「内職」をする生徒はいるし、さぼったり寝ていたりする生徒もいます。でも上記のように、授業自体がほとんど形式だけのものになってしまうというのは、通常はあまり考えられません。実質、授業という行為が成立していないのではないかと思えます。

履修や単位云々は、教育制度に関わる話ですから、形式にこだわらなければならないのはわかります。ただ、上記のようなケースが出てくることを想像すると、形式を整えればそれでいいのか?という疑問も残るのです。
果たして、急に突貫工事で補習をやらせることで、問題が解決したと言えるのでしょうか。

なお、形式にこだわることが生徒を苦しめている↓逆のパターンもありましたので、最後にこちらもご紹介させてください。

■「履修不足:世界史B、中3年で履修…中高一貫の私立茨城高」(MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061029k0000m040070000c.html

私立茨城高校(水戸市)で、3年生の175人が世界史Bの履修不足に当たることが28日、茨城県の指摘で分かった。同校は中高一貫校のため、既に世界史Bを中学3年の時に履修しているが、県からは「高校の取得単位としては認めない」とされたという。同校によると、家庭科なども履修不足に当たる恐れがあるという。同校関係者は「これから補習をしなければ」と困惑している。
(上記記事より)

こちらは、他の履修逃れ校とは若干違った問題を抱えているように思われます。ちゃんと学ぶべき内容を学んだのですが、ただそれがちょっと早かったというだけのようですから。
生徒からすれば、どうしてこれがいけないのか、納得いかないのではないでしょうか。
私学って何だろう、中高一貫校って何だろう……と考え直してしまうような問題です。

履修漏れ・履修逃れ問題が拡大していく中、メディアは、これを日本の教育が抱える制度的な問題だと論じ始めています。マイスターも同感です。

今後、履修逃れをどう解決するか、という動きが活発化すると思いますが、その対策の仕方が、さらに日本のガッコウの特徴をよく表すことになるのではないか、と予感しています。

以上、マイスターでした。

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(その他、関連する報道)
■「政府、補習上限70コマで調整 公明、さらに軽減主張」(MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/tanni/news/20061031ddm001040007000c.html
■「豪修学旅行で世界史Bを履修済み 西武学園」(MSN毎日インタラクティブ)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/tanni/news/20061031k0000m040103000c.html
■「『補習出ない』『学校ふざけるな』 履修漏れ、受験生ら」(Asahi.com)
http://www.asahi.com/special/061027/TKY200610280182.html

3 件のコメント

  •  報道を耳にする度に唖然としています。
     さてこの問題、国会で首相が答弁するなど政治家を巻き込んでいますが教育関係者で解決してもらいたいですね。文科省等で解決できる問題でしょう。
     中高一貫校の早期履修制度はかなり多くの学校で実施されているようでルール違反ではないと思っていました。HPには特徴としてアピールしてる所多いですね。ルール違反は残念です。もし、ルールが悪いなら改定してから実施すべきでは。
     

  •  いや~あ! ようやくこの問題をまともに論ずることのできるHPに出会えました。連日、政府や与党の「免除」ということばに、呆れかえっておりましたが、家で妻にこのような話題を振ろうものなら、たちまち却下! 悶々としておりましたから。
     教育を受けることは、憲法で保障されている国民の権利です。「権利を免除する」とは何ですか。わけがわからん。
    (続く)

  • (続き)
     単位は、「学修の量」によって与えられるもので、「学修の質」を示すのが成績評価です。つまり「量×質」が求められる(これを総履修単位数で除したものがGPA)のに、「質がよければ量は無視」というのでは、学校不要論になりませんか。つまり、レポートで「免除」にするのなら、みんな高校へ行かず、高等学校卒業程度認定試験(旧・大学入学資格検定)を受ければいいではないですか。
     それならばいっそ、すでに卒業してしまった人とのバランスを考えて、「高校卒業」と「大学入学資格」を分離してはいかがでしょう。
     最後にひとこと。補習をやりたくないと思っているのは、ほんとうは教員のほうではないのか。労働時間を増やしたくないからと、生徒を煽ることのないように!